TOP PAGE

大津司郎 プロフィール

1948年東京生まれ

  • 東京農大在学中の1970年、将来アフリカで農業をやるため友人と二人で横浜から船でアフリカ(東アフリカ)に行く。
  • 卒業後、1973年サハラ干ばつ救援委員会を設立、干ばつに苦しむチャドに救援物資(衣類、乾パン、ミルク、ランド・ クルーザー等々)をナイジェリアのポート・ハ―コートまで船で輸送、そこからさらに内陸のチャドに汽車と車で運び、最後はチャド赤十字に寄付。行動を起こす前に、チャド共和国トンバルバイエ大統領に出した手紙の大統領からの歓迎の返事は宝物としてしまってある
  • 75年~77年、青年海外協力隊でタンザニアに赴任、帰国後覚えたスワヒリ語を活かしテレビのアフリカ関連ドキュメンタリー、バラエティ番組のコーディネーター(24時間テレビ、宇宙船地球号、世界不思議発見、世界の果てまで行ってQ等々)をやる。
  • 1992年、ソマリア内戦取材(ソマリア人家族、米軍、国連PKO、救援センター等)、8mmビデオカメラをもってはじめてのアフリカ紛争取材、以後スーダン内戦(SPLAゲリラ、飢餓、救援活動、ナイル川等)、南スーダン石油地帯(ベンチウBentiuクウィットKwit他)、中国の存在(石油プラント)、ルワンダ虐殺、虐殺容疑者収容刑務所潜入、コンゴ戦争、レアメタル地帯潜入、難民(キャンプ)、被災民(キャンプ)多数取材、アンゴラ内戦(反政府グループUNITAリーダー、ジョナス・サビンビ氏インタビュー、ストリートチルドレン、マーケット、病院、地雷犠牲者)、ソマリア・テロ(ポスト9・11、ソマリア潜入、テロ関連)、海賊(本人、村、刑務所、病院、AMISOM(AU・PKO部隊、ソマリア大統領インタビュー、砲撃戦)、ウガンダ北部(LRAゲリラから逃げる子供たち)、ブルンディ(ブヨヤ大統領インタビュー、反政府ゲリラ潜伏山岳地帯、被災民キャンプ)、イラク(2004年、バグダッド、マーディ・アーミー/シーア派、クルド人家族、反米デモ)、ケニヤ・テロ(ナイロビのリトル・ソマリア、モンバサ郊外イスラエル人専用リゾート、パラダイスホテル爆破テロ事件)、他にビジネス、環境問題等を取材(★紛争地取材は安全上のためすべて単独)。これらは、おもに夜のニュース番組内の特集で放送された。
  • 何故アフリカ紛争を取材したのかは、アフリカ紛争は日本のメディアが取り上げないだけで、資源争奪、民族対立、難民、援助に至るまでそこは常に人間と世界の問題の最前線、そしてニュースのヘッドラインであるという問題意識、また日本のメディアの関心の無さ、問題意識の低さから、企画を出しても、中々通らず、また撮って来ても中々買ってはくれないという大きな壁に常にぶち当たってきた。
  • 自分が撮ってきた写真を画にしたのはある意味自然な流れで、自分の生き方を決定づけてきたアフリカの戦い、人間、また目の前にあった現実、事実があまりにも重く、複雑だった(言葉で言うほど平和、和解、問題解決は簡単ではない)、撮ってきた写真を画に変換することによって今一度〝その時〟を思い起こし、自分はアフリカで何をやって来たのかを考えたかった、ある意味ビデオを回すよりも疲れる。
  • その他、現在、学生をアフリカに連れて行き、日本からは遠いアフリカの今に触れ、学ぶスタディツアー(ルワンダ、ケニヤ、タンザニア)、たまにする講演、トークなどの活動をしている。


著書「アフリカン・ブラッドレアメタル」(無双舎刊2010)

掲載した作品は販売いたします。
店舗スペースのデザイン等のご相談にも応じます。
お気軽にご相談ください。