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No.20 パトリス・ルムンバ

1925~1961/コンゴ民主共和国カサイ州生まれ


作品の説明

ベルギーの植民地支配下、プロテスタント系の学校で教育を受け、キサンガニ(旧スタンレービル)で郵便局の事務員として働いていたが、高まる反ベルギー、独立気運が高まる中、政治へ進出、コンゴ国民運動(MNC)を創設。MNCの代表としてガーナの首都アクラで開催された全アフリカ人民会議に代表として参加、ベルギーと国際社会に向け独立要求を鮮明にしていった。

1960年の選挙でMNCは勝利、ルムンバは首相に指名された(大統領はカサブブ)。独立とルムンバ体制による共産化(ソ連、中国の支援)を懸念したベルギーはカタンガ州の分離独立を工作、独立直後の脆弱なコンゴに混乱が広がる。ベルギーはさらに軍事力を増強。ルムンバは国連の支援を要求。混乱の中豊富な地下資源を持つカタンガは独立を宣言。同年末、アメリカの強力な支援を受けたモブツ(その後30年以上にわたって独裁者としてコンゴ/ザイールを支配。一般市民の貧困を救うことはなかった)がクーデターを起こし、権力を掌握、ルムンバ逮捕を命令。ルムンバと取り巻きは危険を察知、首都キンシャサの官邸を脱出したが、逃げ切れず、コンゴ中部で捕まり、即キサンガニに移送、直後の61年1月17日、CIA、ベルギーの手によって銃殺された。60年6月の独立からわずか半年、全アフリカの植民地支配からの自由と解放、真の独立の希望は潰え、その後モブツ体制の下で貧困と低開発。汚職と腐敗に喘ぎ続けたという意味で、欧米の汚い手によるルムンバ殺害は一人コンゴのみならずその後のアフリカの歴史を決定付けた。

  • サイズ:縦33.5cm×横51cm
  • 技法:イラストボードに線画(水性サインペン)

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